凸凹心身:記憶力

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発達障害持ちであるがゆえ、心身が適度なバランスを欠いてしまっているということで、三週に渡って五感集中力身体操作における実例を挙げてきたが、記憶力も著しくバランスを欠いてしまっている。

一口に記憶力と言っても、長期記憶と短期記憶の二種類に大別される。長期記憶とは名前や住所や母語のような「いつまでも覚えておくべき記憶」のことで、短期記憶とはゴミ収集の日の朝にゴミ出しをするといった「(実行するまでの)ちょっとの間だけ覚えておくべき記憶」が当てはまる。

コンピューターで言えば、HDDやSSDに記録されて電源を切っても消去されないデータが長期記憶、メモリーやバッファに一時的に記録されるデータが短期記憶に相当する。そして、発達障害の中でもASDは長期記憶が強すぎて短期記憶が弱すぎることが多い。

学生時代は、いつまでも覚えておくべきことを学ぶ期間だったから、あまり問題は無かった。むしろ長期記憶の強さゆえ、暗記が物を言う科目は睡眠不足でも予習復習をしていなくても、おおむね成績が良かった。しかし、大学を卒業して半年後にプログラマーの職に就くと、短期記憶の弱さが露呈するようになった。

特にダメだったのが電話取りだった。そもそも、感覚過敏ゆえに騒がしい所では電話が聞き取りにくい。終日802が流れているような職場だったから、受話器を当てている側とは反対側の耳の穴を手や指で塞がなければならなかった。そして、相手の話を聞き取りながら話の内容を書き留めるという並行作業ができず、どちらか一方に集中せざるを得ない。だから通話中は内容を覚えることに専念して、通話を終えると内容を思い出しながら急いでメモを書くものの、度々取りこぼしが起きてしまった。

2004年の秋で30歳になったのを機に、翌2005年の春に親元を離れて京都市内で一人暮らしを始めると、更に短期記憶の弱さが日々の生活で問題になってしまった。ゴミ収集の日の出勤時にゴミ出しを忘れ、午後から雨の予報なのに傘を持って行かず、手持ちの現金が残り少なくなっても通勤の途中でATMを素通りすることが何度も起きてしまった。

毎日の日課ではなく、必要な時にだけ、通勤時のついでにちょっとだけやれば済むことが、まさにそのイレギュラーな付帯事項であるがゆえに、頻繁にやり忘れてしまった。

現在、15年以上住んでいる世田谷の住まいはゴミの集積所に扉と屋根が付いていて、いつでも日時を気にせず自由にゴミ出しができる。加えて、天候に関係無く折り畳み傘を常時カバンに入れているし、支払いの類もなるべく現金ではなくiPhoneSE(第二世代)のタッチ決済を使うようにしている。これによって、たまに必要になる通勤時のついで作業そのものをなるべく減らしているけれども、それでも時折、イレギュラーなタスクをやり忘れてしまう。

こうした、短期記憶の弱さによる日常生活での失敗の一つ一つは、どれも些細なことかもしれないけれど、やらかしてしまう度に、やっぱり人として出来損ないだと、自尊心が徐々に、だが確実に削り取られてゆく。

加えて、50年近く生きていれば、成功体験よりも障害に由来する失敗体験の方が圧倒的に多くなってしまっていて、それが長期記憶にも刻み込まれてしまっている。

そして、情報漏洩防止などの理由で私物の持ち込みが禁止されている職場で待機時間が長かったりすると、そうした負の長期記憶が襲いかかってくる。暇は無味無臭の劇薬と言うけれど、手持ち無沙汰で何も暇潰しができない状態が長く続けば続くほど、今までにやらかした失敗の記憶が次々に蘇ってくる。

発達障害者は鬱などの二次障害を併発しやすいというのも、そうした負の長期記憶を繰り返し反芻してしまうことが大きく関わっている。

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