フツーのキャンパスライフ

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1ヶ月に渡ってダラダラ書き連ねてきた、我が「いちきゅーきゅーぺけ」の話も、今回で一応締め括り。大学時代の4年間を振り返ってみると、結局、「フツーのキャンパスライフ」というものが、最後までわかっていなかった。

親は両方とも商業高校卒だったし、周囲に大卒者がいなかった。入学後に加入したサークルは(文系の方では)開店休業状態のシミュ研だけで、講義以外の時間はオープンパソコンルームでMacをいじってばかりだったから、大学生活は基本的にひとりぼっちだった。

同じ専攻同士での飲み会も数回しか参加しなかったし、シミュ研が毎年夏に文系理系合同で滋賀の琵琶湖蓬莱セミナーハウスで開催していた合宿でも、理系のメンバーとは深く関わらなかった。だから、キャンパスライフのイロハを知る機会なんて、入学直後のオリエンテーション以外、ほとんど無かった。

その結果、「大学生は長期休暇中に運転免許を取るのが普通」ということすら知らなかった。大学生協の書籍部のすぐそばには合宿免許の予約受付カウンターが常設されていて、雑誌を立ち読みしに行く前後で必ず目に入っていたのにも関わらず、免許を取る、という考えが欠落していた。

実家は最寄駅までは自転車やバスで30分程の距離で、自動車は必須というわけではなく、実際、家族で運転免許持ちは母だけで、しかも普段はミニバイクにしか乗ってなく、自家用車は無かった。大学卒業の間際になってようやく、終バス後に家族を駅前まで自動車で迎えに行けるようになってほしいと言われたものの、実際に免許を取ったのは卒業してから3ヶ月後だった。

都会暮らしでは自動車が必須ではないということを差し引いても、身分証明書として運転免許証を持っておくのが何かと便利、ということに気付いたのはもっと後のことで、クレジットカードを作ったのも30歳になってからだった。

就職活動も極めていいかげんで、大学の就職部には一度も足を踏み入れなかった。バブル崩壊後の就職氷河期で、先輩やOBのコネも無く、資格の類は運転免許すら持ってなく、そのうえ就職部も活用しないのだから、卒業前に内定を全く得られなかったのも当然だった。卒業後のことを在学中にもっと真剣に考えておくべきだった。

なにより、関西だけでなく西日本全域から人が集まる大学での4年間というものは、今になって振り返ってみれば、発達障害持ちで関西弁が使えない関西人にとって、高校時代までずっと得られなかった、気の置けない同期やロールモデルになる先輩を得るラストチャンスだった。そのラストチャンスを、ひとりぼっちで無為に過ごしてしまった。

大学入学前の様々な失敗も大概な黒歴史だけど、まだ大学で挽回できるチャンスはあった。20代30代でちゃんとしたキャリアを積み上げる、その第一歩である大学入学の時こそが、今にして思えば人生におけるポイント・オブ・ノーリターンだった。にも関わらず、そこからの歩み方を完全に間違えてしまった。

当時の主観では日々忙しく過ごしていたけれど、所詮は独り相撲で、本当にやっておくべきことに気付いていなかった。結果、ポイント・オブ・ノーリターン以降も30年の間にちゃんとしたキャリアではなく失敗ばかり積み重ねてしまって、こんなどうしようもない人生になってしまった。

振り返ってみれば、後悔ばっかり。残りの人生なんて、単なる消化試合でしかない。

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