消えゆく在来線

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先々週先週に引き続き、我が「いちきゅーきゅーぺけ」の話。大学時代の行動範囲は(特に阪神大震災以降)ほとんど京都・大阪・東京ばっかりで、それ以外の所へは滅多に行かなかった。カネと時間の使い道がMac最優先だったし、家族で旅行に行くことも無くなっていた。

中学生の時に最初の海外旅行へ行くのに際して10年間有効な旅券を作っていて、まだ期限が十分残っていたのに加えて、1回生の時に関空が開港して関西発着の国際線も増えていたのにも関わらず、海外へは全く行かなかった。今にして思えば、最低限、啓徳空港が残っている内に香港へ行っておくべきだった。

国内の遠出も東京ばっかりで、しかも青春18きっぷの有効期間ではない時期に行くこともあったから、往復で使うのは学割切符ばかりだった。シミュ研がずっと開店休業状態だったのだから、掛け持ちで鉄道研究会にでも入っていれば行動範囲(と人間関係)が多少は広がっていたかもしれないが、当時はそうした考えが全く無かった。

そんなわけで、東日本の鉄道事情に疎かったのに加えて、東海道本線や山陽本線が新幹線開業後も存続していたので、「並行在来線の廃止」というものが今ひとつ良くわかってなく、その結果、長野新幹線の開業前に信越本線を乗りつぶしておくという発想が根本的に欠落していた。

大学を卒業して約10年後、2007年に転勤で東京に引っ越して、更にそれから10年以上経って2020年代に入ってから、四半世紀前に寝台特急で深夜に通り抜けただけだった新潟へ改めて行ってみたいと思うようになり、ようやく東京から新潟へのルートを調べてみて「しまった!」と思った。20年以上経って気付くなんて間抜けすぎる。

そんなわけで、コロナ禍を経て先々月、ようやく信越本線の跡を辿ってみたが、散々な結果になってしまい、碓氷峠越えの困難さを身を以て思い知らされた。

東北本線も盛岡以北はJR線ではなくなってしまったし、鹿児島本線も乗りつぶしそこねた(そもそも南九州へは現在に至るまで一度も行けてない)。そして、北陸本線も大部分がJR線ではなくなってしまった(母方の家系は明治時代に富山から北海道に渡ったので、前々から富山にも行きたいとは思っているものの、実行できていない)。並行在来線以外でも、主に北海道で在来線の廃止が相次いでいる。

今にして思えば、大学時代はそうした消えゆく在来線を乗りつぶしておくのには最適の期間だったのに、何もしていなかった。そして、20年以上も経ってから、やりそこなってしまったことの大きさに気付いて後悔している。

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