需要と供給

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需要と供給はニワトリと玉子の関係のようなもので、どちらが先とは言い難い。現物を実際に見てから初めてそれが欲しくなることは、いくらでもある。加えて、人は同じ物をずっと求め続けるとは限らず、急に飽きることもある。

自由主義の経済では、誰でも自由に需要を見込んで商売できる。それゆえ、何かが売れ筋になると我も我もと参入する者が相次いで、結果、供給過剰になって市場がレッドオーシャン化し、そこへ消費者の飽きがとどめを刺す。チューリップウサギからタピオカミルクティーに至るまで、そうした需要と供給のミスマッチによる経済的混乱は、自由主義経済においては何度も起きてきた。

計画経済は、政府が需要予測を元に供給をコントロールすることによって、そうした需要と供給のミスマッチや経済的混乱や格差の発生を防ぐ、という考えだが、それは「はじめに需要ありき」という考えであって、移り気な人の感情を考慮に入れていない。それに、人は常に平等を求めるとは限らない。人が平等を求めるのは、自分が他人より不利益を被っていると思う時であって、自分の経済水準が平均的だと思うと、今度は他人と差を付けたがる。しかし、計画経済はそのような見栄も考慮に入れていない。そして、社会は時として天変地異や破壊的イノベーションによって生活様式が激変することもあるが、計画経済はそれも考慮に入れていない。

加えて、計画経済を採用する国の多くは、社会主義が資本主義より優れていると誇示するために、計画と実践の齟齬や需要と供給のミスマッチを隠蔽する傾向が強い。計画は計画通りには進まないのが常なのに、そうした隠蔽によってPDCAサイクルが回らず、問題がなかなか解決されない。

来週、来月、来年、何がどれだけ求められるかなんて、量子コンピューターでも予測は不可能だろう。需要と供給を常にピッタリ一致させるなんて、資本主義でも社会主義でも実現はできない。ミスマッチはまだまだ続く。解決策は見えない。

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