ボトムアップとインテリジェンス

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先月書いた「情報と消息」はPV数がそこそこ伸びたけど、単純に、日本はインフォメーションとインテリジェンスがごっちゃになってるからダメ、と結論付けるのはあまりにも短絡的かつ凡百すぎてよろしくないので、やや長めの補足を。

日本でインフォメーションとインテリジェンスがごっちゃになっている→インテリジェンスが重視されてこなかったのは、畢竟、日本が「究極のボトムアップ型社会」だから、ということに尽きる。

インテリジェンスとは「より良い決断に資するため、ふるいにかけられたインフォメーション」だが、そのようなインテリジェンスは「複雑化・大規模化した組織においてトップが重大な決断を下す場面」においてこそ効力を発揮する。つまり、インテリジェンスはトップダウンにおいてこそ必要になってくる。

小さな組織では、合議制でも問題は無い。だが、組織の構成人員が増えてゆき、組織の存亡に関わるシビアな問題に組織全体で対処しなければならなくなってくると、ピラミッド型の上意下達システムが必要になってくる。インテリジェンスも、その段階になってから必要になってくる。

ところが、日本列島は異民族による組織的な暴力の嵐が吹き荒れる大陸からは適度に離れていて、そのうえ地形は細長くかつ山だらけなので、人間集団が物理的に細かいセルに区切られまくっている。山や谷を越える移動にいちいち時間を要する反面、列島全体が一気に同じ問題に直面することも少ない。

つまり、日本全体の存亡に関わるようなシビアな問題が滅多に起きなかった上に、末端からトップへ報告を上げるのもトップの決断を津々浦々の末端へ伝えるのも時間を要する。ゆえに、なるべく現場に近い実務担当者に自由な裁量を与えて、なるべく現場レベルで問題が解決できればよし、という風になる。

かくして、日本は総人口が世界でも有数に多くなったのにも関わらず、トップダウン型社会へ移行することなく「究極のボトムアップ型社会」になった。そして、何か問題が発生してもなるべくボトムのレベルで解決するのをよしとするから、トップが決断を下す機会も少なく、インテリジェンスも必要とされにくい。

現場レベルで解決できるような問題は、トップダウンよりもボトムアップの方が、いちいちトップに報告を上げて指示を仰ぐ必要が無い分、素速く対処できる。平時なら、その方が効率がいい。だが、問題が大きくなれば大きくなるほど、ボトムアップではバラバラの現場がバラバラに対応することになり、問題の根本的な解決が難しくなる。誉れ高きトヨタのカイゼンも、悪名高き帝國陸軍の独断専行も、どちらも等しく究極のボトムアップ型社会の産物だ。

日本は長年に渡って、ボトムアップでも滅多に問題は無かった。ゆえに、インテリジェンスも滅多に必要とされなかった。こうした認識無くして、日本におけるインテリジェンスを云々することはできない。今後もボトムアップで問題は無いのか、問題があるとすればどんな問題にトップダウンで対処すべきなのか、そしてトップダウンの仕組みを導入するとしても既存のボトムアップとはどう折り合いをつけるのか、といった議論を先に済ませなければならない。インテリジェンス云々はその後だ。

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