カテゴリー: 言いたい放題
フラグが立つ時
世界中で、何十億もの人々が、パソコンやスマホやタブレットといった個人用のコンピューターを所有して、日常的に使うようになって既に久しい。 このような、個人で使うコンピューターというものは、20世紀の後半に、主にアメリカで育 […]
同文異義:霞
「霞」という字は、日本語の訓読みでは「かすみ」と読み、現代ではもっぱら春の薄霧を指す。が、霞とは元々、朝焼けや夕焼けの真っ赤な空のことを指し、支那語では現代でもそういう意味で使われていて、朝焼けは「朝霞」、夕焼けは「晚霞 […]
同文異義:猪
「猪」という字は、日本語の訓読みでは「いのしし」と読むが、西遊記の猪八戒がイノシシではなくブタであることからもわかるように、日本以外では支那でも朝鮮でもベトナムでも「猪」はイノシシではなくブタを意味する。野生のイノシシを […]
同文異義:城
「城」というと、日本では堀や石垣や天守が連想されるが、そのような形態の城のルーツは中世の山城に遡る。基本的に、武士が敵対する勢力との戦いの際に立て籠って援軍を待つ軍事拠点、という扱いだった。 一方、支那における「城」とは […]
同文異義:餅
年明けから足掛け3ヶ月に渡って、日本とは大きく異なる支那の風土・社会・人間について勝手気儘に綴ってきたが、その延長で、漢字の字義という観点から日本と支那の差異についても、しばらく勝手気儘に綴ってみる。 日本と支那について […]
支那の見方・その13
さて、年明けから3ヶ月に渡って、「天下」をキーワードに支那の見方を勝手気儘に綴ってきた本稿も今回で一応、おしまい。というわけで、最後の内容は、未来の話。 前々回と前回、支那を「砂袋社会」と形容したが、支那を砂袋社会たらし […]
支那の見方・その12
支那の広大な土地と膨大な人口の産物として、前々回は上からの管理術である中央集権体制を、前回は下からのサバイバル術である宗族エゴイズムを挙げたが、今回の内容はその続き。 支那は、広大な土地の中で宗族エゴイズムに基づいて勝手 […]
支那の見方・その11
前回は、支那の広大な土地と膨大な人口の産物として中央集権体制を挙げたが、今回はその続きで、もうひとつの産物である宗族エゴイズムの話。 産業革命以前の、通信手段も移動手段も未発達だった時代の支那では、政府による広大な土地と […]
支那の見方・その10
年明けからズルズル続いてきた本稿も今月がラストスパート。前回までは支那人の天下観を話の中心軸としていたが、今回からは天下観をベースとした支那人の社会観・人間観にまで話を拡げる。 清朝末期まで、支那人は「我々は全ての国々が […]
支那の見方・その9
前回の内容は漢民族の天下観と満独・越独だったが、今回の内容はその続き。 天下が複数の国々に分裂していて、それぞれの国の王が同時代に複数並び立っていても、唯一にして正統なる統治者である皇帝の「天下全体を統治する者の徳」を継 […]
支那の見方・その8
前回の最後、漢民族の天下観をろくすっぽ知らなかったがゆえに、20世紀の前半に大失敗をやらかしたのが日本、と締めくくったが、今回の内容はその大失敗の詳細な解説。 清朝末期までの支那人にとって、支那とは「全ての国々がひとつに […]
支那の見方・その7
前回は、支那人にとっての「天下」という話から若干寄り道して、支那人にとっての「王」と「皇」を俎上に載せたが、今回からは再び支那人にとっての「天下」について掘り下げる。 始皇帝以降、清朝末期に至るまで、支那人にとっての「天 […]
支那の見方・その6
前回の内容は、日本人と支那人での三国時代の受け取り方の違いだったが、今回の内容はその続き。まずはちょっと質問をひとつ。「王」と「皇」は、どう違う? 日本ではカトリックの「Pope」を「法王」と訳したり「教皇」と訳したりす […]
支那の見方・その5
前回の最後、支那人にとっての支那のイメージは、依然として「全ての国々がひとつに統合された「天下」」というイメージがベースになっている、と締めくくったが、具体的な事例を挙げてみる。 支那の歴史で、日本人が最もよく知っている […]
支那の見方・その4
前回までは「支那は、国ではなく、それ自体がひとつの世界である」という本稿のメインテーマの説明に充てていたが、今回からは、そのメインテーマからどんどん話を発展させる。 20世紀に入るまで、支那人の大部分にとっては、支那が「 […]