究極の非対称ゲーム

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前回の内容と部分的に重なる話だが、卓上ウォーゲームのルールには「特定の陣営にのみ適用されるルール」も少なくない。そしてこれは、伝統的なゲームやユーロゲームと比較した場合の著しい相違点である「非対称性」とも関係している。

伝統的なゲームやユーロゲームは、基本的に全てのプレイヤーに同じルール・同じ初期条件が与えられ、同じ勝利条件を巡って競い合うものが多い。

しかし、ウォーゲームは「現実の軍事行動」の再現に主眼が置かれている。そして、現実の軍事行動というものは、戦力バランスの不均衡をきっかけに、優位に立っている(と自己分析している)側が「今攻めれば勝てる」と判断することによって始まることが多い(双方とも全く予想外に鉢合わせしてしまって起きる「不期遭遇戦」も一応あるけれど)。

加えて、軍隊というものは国によって政治・経済・教育・技術・地理などなどの違いによって、将兵の能力や装備の内訳や用兵思想・ドクトリンが異なってくる。「戦争は一種の文化交流」という言葉もある。

こうしたことを反映して、卓上ウォーゲームのルールは陣営によって異なる長所短所を表現するために、特定の陣営にのみ適用されるルールが盛り込まれることが少なくない。加えて、各陣営の違いが際立っているテーマの人気が高い。

20世紀後半、卓上ウォーゲームの人気テーマは「独ソ戦」だった。特に独ソ戦の初期は「数では劣るものの、ポーランドやフランスで実戦経験を重ねて練度が最高状態だったドイツ軍」と「数では勝るものの、スターリンによる大粛清によって戦う前から指揮系統がガタガタになっていたソ連軍」という、ヨーロッパの二大陸軍による質対量の激突、というイメージが強く、2000年頃まで一貫して人気テーマだった。

具体的なゲームタイトルを挙げると、1960年代は「Stalingrad」が、1970年代は「The Russian Campaign」が、1980年代は「Russian Front」が、1990年代は「EastFront」が、それぞれ人気を博していた。

しかし、ソ連崩壊後、ロシアで新たに公開された資料などによって独ソ戦の戦史研究が進んだことにより、独ソ戦=「質のドイツ軍」対「量のソ連軍」という単純な図式の見直しが図られるようになった。加えて、21世紀の幕開けとなった2001年に、アメリカ同時多発テロ事件が起きた。

2001年9月11日以降、アメリカは対テロ戦争に突入し、それによって、アメリカにおけるウォーゲームのトレンドも、「正規の軍隊」対「非正規のゲリラ・テロリスト」による「非対称戦争」が主流になった。

具体的なゲームタイトルとしては、「Labyrinth: The War on Terror, 2001 – ?」が真っ先に挙げられる(初版発行は2010年で、2019年には第4版が発行され、つい最近、日本語対応のスマホアプリ版が出た)。

加えて、「COINシリーズ」の人気も高く、2012年からの10年間で10作がリリースされている。どのゲームも基本的には一国における内戦をテーマとして政府側二人・反政府側二人の四人ゲームになっていて、政府側も反政府側も決して一枚岩ではなく、内輪揉めをしながら戦うというのがミソになっている(ウォーゲーマーでも勘違いしている人がいるが、「COIN」とはカウンター・インサージェンシー(COunter-INsurgency)の略で、日本語では「対反乱作戦」とも訳される、れっきとした政治・軍事用語でゲーム用語ではない)。

そして、COINシリーズではどのゲームでも、四つの陣営はそれぞれ初期条件も長所短所も基本戦略も勝利条件も全く異なっている。その非対称性たるや、独ソ戦の比ではない。

つまり、ウォーゲームは「究極の非対称ゲーム」なのだ。そしてそれゆえ、特定の陣営にのみ適用されるルールをうっかり適用し忘れるミスが起こり得る。加えて、担当する陣営によって戦略が大きく異なってくる。基本的には、戦力的に優位にある側は現状の変更(占領地の拡大や敵軍戦力の撃滅)を目指すことになり、戦力的に劣位にある側は現状の維持(占領地の保持や自軍戦力の温存)を目指すことになる。このような、担当する陣営によってプレイスタイルを変えざるを得ないというのもまた、ウォーゲーム特有の難しさだと言えるだろう。

また、こうした非対称性ゆえ、リソースの扱いもユーロゲームとは大きく異なっている。ユーロゲームは基本的に手持ちのリソースをどんどん増やしてゆき、最も早く手持ちのリソースを一定量以上に増やした者が勝つゲームが多いが、「戦争は究極の浪費」という言葉もあるように、ウォーゲームでは基本的に勝利条件を達成するために手持ちのリソースを許容範囲内でどんどん消耗してゆく。そして、どんなリソースをどれだけ消耗できるかという条件も、陣営によって異なってくる。このあたりのプレイ感覚もユーロゲームとは大きく異なる。

囲碁や将棋やチェスといった伝統的なゲームは、しばしば前近代におけるウォーゲームと扱われたりするが、そうした言説には個人的には首肯できない。著しく非対称性に欠けるからだ。彼我の戦力が同等(のように見える)ならば、確実な勝算は得られないのだし、わざわざ攻勢に出る動機に欠ける。そういう意味で、現実の軍事行動を再現したゲームだとは到底言えない。

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