省と部

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21世紀に入ってから、日本では中央省庁再編によって1府22省庁が1府12省庁に再編されたが、この、中央行政機関を「」と呼ぶことについて、学生時代に日本史ではなく世界史を履修した人だと、ちょっと引っ掛かるものがあるかもしれない。唐代の律令制における三省六部では、中書省と門下省は行政機関ではなく立法機関という位置付けで、吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部が行政機関、そしてこれら六部の元締め的な存在が尚書省だった。つまり、唐代の中央行政機関は「省」というより「部」だった。

現代の中華民国の行政院中華人民共和国国務院、そして韓国の行政機関でも、中央行政機関を「部」と呼ぶ習慣は引き継がれている。特に外交部・国防部・教育部はこれら3ヶ国いずれにも存在している。中華民国と中華人民共和国だと財政部と科技部がどちらにも存在していて、中華民国と韓国だと法務部がどちらにも存在している。日本の報道機関による日本語の記事の中では「省」と意訳していることが多いが、本来は「部」だ。

なぜ、日本の中央行政機関が「部」ではなく「省」を名乗っているのかというと、行政機関が半ば立法機関を兼務してしまっていることが理由として考えられる。日本では、本来の立法機関である国会の構成員である議員が発議する議員立法よりも、行政府である内閣が提出する閣法、そして行政機関による委任立法が圧倒的に多い。

日本がいわゆる行政国家であるという指摘は少なくない。委任立法という、行政による立法への蚕食以外にも、刑事事件における検察による不起訴率の高さもまた、行政による司法への蚕食と言えるだろう。刑事事件で有罪か無罪かを判定するのは、本来なら司法機関である裁判所の役割だが、行政機関である検察が不起訴処分を下すというのは、行政が勝手に無罪判決を下すようなものなのだから。

遡れば、大宝律令で二官八省(神祇官・太政官・中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省)が定められた時から、日本の中央行政機関は「省」だった。そうした呼び方が現在にまで至るというのは、立法・行政・司法の三権が分立していないことが原因による苛烈な独裁体制のようなものがほぼ成立しなかったがゆえに、立法・行政・司法を一緒くたに「お上」と捉える考え方が習い性になってしまったから、と言えるのではないだろうか。

ところで、北朝鮮の中央行政機関は「省」と「部」が両方存在していて、なおかつ三省六部とは逆に、「省」が「部」よりも格下という扱いになっている。一例を挙げると、軍政を主管する人民武力省は建国以降、民族保衛省→人民武力部→人民武力省→人民武力部→人民武力省、という風に格上げ・格下げを繰り返している。が、北朝鮮の立法・行政・司法についてはそもそも情報が乏しく、なぜ省と部が両方存在していてなおかつ省が部よりも格下扱いなのかは、よくわからない。

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