朝鮮戦争では韓国を支援するため、まず近場の日本に駐留していた米軍部隊が投入され、その中には黒人兵も多く含まれていた、ということを先月ちょっと触れたが、こうした日本駐留の米軍部隊には、日本人相手の通訳も兼ねた日系米兵も多く含まれていて、やはり朝鮮戦争で前線に投入されている。京畿道坡州市の臨津江観光地区には、そうした日系米軍将兵の戦死者247名の追慕碑が建っている。
こうした朝鮮戦争における日系米軍将兵の、あまり知られざる功績として、韓国軍と米軍の連携の仲立ちが挙げられると思う。つまり、朝鮮戦争での韓国軍と米軍の連携は、米軍の日系将兵と、5年前まで日本人だった韓国軍将兵が、現場レベルで日本語によるコミュニケーションをとっていたことで下支えされていた可能性が高い。これは何も素人考えではなく、実際にそういう証言が存在する。
日系米兵というと第二次世界大戦での第442連隊戦闘団ばかりが有名で、朝鮮戦争と日本の関わりというと米軍の後方基地としての機能とか特別掃海隊とか在日学徒義勇軍とかは知られているけれど、朝鮮戦争における日系米兵というのは、それらと比して、あまりにも知られていない。一応、アメリカだとGo For Broke National Education Centerによる記録とかがあったりするし、日本でもかつて、当事者による記録「パイナップル部隊」が文藝春秋から刊行されて映画化もされているけれど。
当事者が亡くなりつつある今、朝鮮戦争とオーラル・ヒストリーの両方に詳しいプロの研究者が日本語で聞き取りをしておいた方がいいような気がする。