記憶から記録へ

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先週の続き。卓上ウォーゲームのルールは「戦場や軍事組織の原理原則」という、ゲームの外側に存在していて、なおかつ一般的ではないコンテクストに強く依存している、というのが先週のまとめだったけど、歴史上実際にあった戦いを題材にしたヒストリカルウォーゲームの場合、これに加えてゲームの勝利条件が史実というコンテクストに強く依存している。

ウォーゲームの勝利条件は、ゲームの題材になっている戦いにおいて、双方の指揮官がそれぞれ何を目標にしていて、実際の所どれだけの事が達成可能だったのか……をデザイナーが解釈した結果が反映されている。それゆえ、ヒストリカルウォーゲームの場合、勝利条件は史実の結果を踏まえて設定されているし、史実を知っている方がプレイの方針を立てやすい。

卓上ウォーゲームの(第一の)黄金期が1970年代で、しかも第二次世界大戦ものの人気が圧倒的に高かったのも、これが関係している。1970年代というのは第二次世界大戦から丁度30年経った頃で、まだまだ当事者の多くが存命で、そうした当事者による回顧録が広く出回っていて、戦史書や映画やテレビ番組も頻繁に作られていた。それゆえ、第二次世界大戦に関する諸知識は、誰でも知ってて当り前、言わずもがななコンテクストだった。加えて、第二次世界大戦に関する諸知識というコンテクストの普及度が高かったからこそ、戦場や軍事組織の原理原則というコンテクストの普及度も、今よりは高かった。

しかし、そうした1970年代から更に半世紀が経つ過程で、第二次世界大戦は「記憶」から「記録」になってしまった。今ではもはや、第二次世界大戦に関する諸知識は、誰でも知ってて当り前、言わずもがなではなくなってしまった。戦場や軍事組織の原理原則も、一部のプロと好事家だけのものになってしまった。

1970年代、第二次世界大戦の戦史は、それ以外の戦史、例えば第一次世界大戦の戦史やアメリカ南北戦争の戦史やナポレオン戦争の戦史などと比べて、圧倒的なメジャーコンテンツ、絶対的エースだった。しかし、そうした1970年代から更に半世紀が経つ過程で、第二次世界大戦の戦史は様々な戦史のワンノブゼムになっていった。それを反映して卓上ウォーゲームの方でも、21世紀に入ってから第二次世界大戦もの以外の人気が20世紀の頃と比べて相対的に上がっていった。

第二次世界大戦の戦史が様々な戦史における絶対的エースではなくなった今、人並み以上に戦史に詳しい人が卓上ウォーゲームに興味を示したとしても、そういう人が関心を寄せている戦史は第二次世界大戦ではないのかもしれない。ペロポネソス戦争かもしれないし、楚漢戦争かもしれないし、ローマ内戦かもしれない。ヴァイキングかもしれないし、十字軍かもしれないし、モンゴル帝国かもしれない。三十年戦争かもしれないし、露土戦争かもしれないし、大北方戦争かもしれない。クリミア戦争かもしれないし、普仏戦争かもしれないし、ボーア戦争かもしれない。ロシア内戦かもしれないし、国共内戦かもしれないし、中東戦争かもしれない。

要するに、「ウォーゲームの初心者にはとりあえず「ドイツ戦車軍団」とか「日本機動部隊」とか、とにかく何か二次大戦ものをあてがえばOK」という時代は、とっくの昔に過ぎ去ってしまったのだ。

エンタメやコンテンツの供給量が増え、趣味嗜好が多種多様化・クラスター化したことにより、個々人の知識や興味の内訳もバラバラになってしまった今、ゲームの外側に存在するコンテクストへの依存度が極めて高い卓上ウォーゲームにおいて、「入門者におすすめする最初の一作目」選びは相当注意を要するものになってしまった。誰にでも無条件におすすめできるものなんて、もはや、無い。

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