インターネットと携帯端末の全世界的な普及によって、文化や流行やネタの伝播速度は今や極限にまで達し、内容如何では瞬間的に全世界でバズることも当り前になって久しい。しかし、それでもなお、意外な所に文化の差異がしばしば潜んでいたりする。そんな話を、ひとつ。
東洋人は、感情は目に表れるとみなす。一方、西洋人は、感情は口に表れるとみなす。典型的な例が顔文字だろう。東洋の顔文字は基本的に、感情が目に表れていて、口に変化は無い。
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一方、西洋の顔文字は基本的に、感情が口に表れていて、目に変化は無い。
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そしてもうひとつ、目と口のどちらに重点を置くのかが東洋と西洋で明確に異なるジャンルが存在する。マンガやアニメだ。
日本のマンガやアニメでは、基本的にキャラクターは実写よりも目を大きく描写する傾向が強い。その上、瞳に入った光の反射や虹彩の色・模様といった表現も物凄く細分化されていることは、ピクシブ百科事典の「目」の項目を見てみれば明らかだろう。
一方、西洋のアニメは、リップシンク、つまり声優のセリフの音声とキャラクターの口の動きを一致させることに異常なまでのこだわりを見せる。チープな切り絵(風)の「サウスパーク」もリップシンクはきっちり作り込んでいるし、クレイアニメの「ウォレスとグルミット」では、レギュラーキャラクターの中で唯一喋るキャラクターであるウォレスは、口のパーツだけ様々な形のものがあらかじめ幾つも用意されていて、喋るシーンの撮影では口の部分だけを次々とすげ替えている。
大友克洋の「AKIRA」(アニメ映画版)が西洋でもヒットした理由のひとつとして、日本ではあまり指摘されていないが、上記の「目よりも口を重んじる」西洋人の感性に合致していた、ということが考えられる。そもそも、大友克洋が描くキャラクターの目の大きさは、実写と大差無い。その上、「AKIRA」のアニメ映画版は、日本のアニメには珍しく、リップシンクにもこだわっていた。日本のアニメでは大抵、キャラクターが喋る時の口の大きさは大・中・小の3種類くらいしか用意されていないのに対し、「AKIRA」のアニメ映画版では、ちゃんとアイウエオ5種類の口の形が描かれていた。しかも、アフレコではなくプレスコが採用されていた。
派手なアクションシーンが無い場合、アニメで最もよく動くのは、キャラクターの口だ。日本のアニメは、おしなべて派手なアクションシーンは得意だが、キャラクターの口の動きは単調で、目の描写に比べて作り込みが甘い。原恵一監督のアニメ映画版「百日紅」は、世界的に知られる葛飾北斎(と、娘の葛飾応為)が物語の中心人物という、海外でも(というより、海外の方が)ウケる要素を満たしていながら、いかんせん、口の動きが単調だった。IMDbやRotten Tomatoesといった英文レビューサイトでも高い評価を得ているとは言い難いが、その一因として、口の動きの単調さがアダになったと思えてならない。
目が口ほどに物を言うのは、東洋に限られる。アニメ、そして昨今ではVTuberもそうだが、西洋人をも視聴者のターゲットに入れるのならば、目だけでなく口にも注意を払うべきだろう。