卓上ウォーゲームについて

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個人サイトのメインコンテンツでもあるので、卓上ウォーゲームとの関わりについても振り返ってみることにする。日本の卓上ウォーゲーマーは国産ゲームが初めて出版された1981年に(早生れでなければ)中学校へ進学した1968年生れが最も多く、それに比べると6歳年下になるのだが、卓上ウォーゲームとの出会いは1982年、小学校2年生の夏休みに、避暑を兼ねて旭川にある母方の実家へ帰省する途中、札幌にある叔父の家に寄ったことがきっかけだった。

叔父は北大の水産学部卒で、捕鯨船乗りだった。捕鯨船と言っても銛で鯨を捕えるキャッチャーボートではなく、キャッチャーボートで捕えた鯨を収容して解体・加工する母船の航海士だった。最終的には母船の船長、つまり現場のトップの地位にまで上り詰めている。時々、鯨の髭や南極の氷をくれたり、札幌の家には洋書や帆船模型や香港での寄港時に手に入れた海賊版の「ドラえもん」といった、普通の家庭には無いような物があり、親族の中で最も格好良かった。

その叔父の家で、(当時は知る由も無かったが)発売されて間もなかった、エポック社のワールドウォーゲームシリーズ第7作「ドイツ戦車軍団」を見つけた。当時我が家には同じエポック社の「ゲームイレブン」という11種類のボードゲームのセットがあったので、どうやらこれもゲームらしい、と、箱を開けてみた。しかし、その中身は「ゲームイレブン」とは全く似ても似つかぬ物だった。

「ゲームイレブン」のゲームは、11種類とは言ってもチェスやチェッカー、双六の類ばかりで抽象度の高いゲーム盤とプラスチックの駒だったのに対して、「ドイツ戦車軍団」は実際の地図を元にしたゲーム盤と実在の部隊の情報が盛り込まれた紙の駒で構成されていた。既に図書館でノンフィクションの類を読み漁っていて、作り話よりもノンフィクションの方が格上、という嫌味な考えを持っていたので、実際の出来事をベースに抽象化をなるべく最低限度に留めたゲームというのは、そうではないゲームよりも格上に見えた。

夢中になってコンポーネントを見ていると、叔父はあっさりと「ドイツ戦車軍団」をくれた。しかし、普段生活している関西から遠く離れた場所で、しかも購入済みの物を譲ってもらったので、こういう物がどこで売られていて、どのように情報を手に入れるのかが全くわからなかった。しかも叔父は一度南氷洋へ出航すれば3〜4ヶ月は戻ってこないので、携帯電話もインターネットも無い時代だと全く連絡がつかない。関西に戻ってからは、同梱されていたカタログを見て悶々とする日々が続いた。家の近所には雑誌を紐で縛る小さな書店しかなく、本は図書館で読むもの、という習慣が身に付いていたので、ホビージャパンがその年に創刊していた「タクテクス」と出会う機会は無かった。

キデイランドの梅田店で当時いっぱい売ってたじゃないか、と、少なからぬ古参ウォーゲーマーは思うかもしれない。実際、「シミュレイター」(旧)第3号でも記事になっていたくらい、キデイランドの梅田店は当時の関西では最も多く卓上ウォーゲームを取り扱っていた。しかし1980年代当時、梅田のショッピングエリアは大阪駅の南側に位置する阪急百貨店・阪神百貨店・大丸がメインエリアで、大阪駅の北東に位置する阪急梅田駅の、そのまた北側の地下に位置するキデイランドは、メインエリアから大きく外れていた。しかも大阪駅の北側は国鉄の大阪鉄道管理局や貨物ターミナル、場外馬券売り場や予備校・専門学校、そして中小企業の入った雑居ビルばかりで、家族の買い物で行くような所ではなかった(人の流れが大きく変ったのは、鉄道管理局の跡地にヨドバシ梅田が出店した2001年以降)。だから親に連れられて梅田へ買い物に行く度に、阪急百貨店・阪神百貨店・大丸のおもちゃ売り場でウォーゲームを探しては空振りに終っていた。

転機が訪れたのは、それから8年も経った1990年の暮れのことだった。大阪の府立高校に進学して、放課後に駅前の比較的大きな書店で雑誌を立ち読みするようになり、ようやく「タクテクス」の季刊第2号(現代海戦特集号)と出会った。当時、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」にハマっていたので、「Harpoon」の「沈黙の艦隊」シナリオリプレイに強く惹かれた。そして、この号の巻末のサークル紹介欄に、大阪大学のシミュレーションゲーム研究会が載っていた。早速、土曜日の放課後に一旦帰宅してから「ドイツ戦車軍団」を入れたズタ袋を背負い、自転車で国道171号線を1時間程走って阪大の待兼山キャンパスに着いた。

こうして、ようやく関西で卓上ウォーゲームを売っている店の情報を阪大シミュ研から聞き出した。しかし、既に日本でのブームは過ぎ去っていた上、翌1991年にボリュームゾーンである1968年生れの多くが大学を卒業して就職したことによって国内市場は一気に冷え込んでしまい、「シミュレイター」が休刊、そして1992年には「タクテクス」も休刊してしまい、国産ゲームの出版も途絶えてしまった。

ようやく辿り着いた最前線は、既に末期戦だった。

失われた時間を取り戻そうとするかのように、京阪神の店を駆けずり回り、バイトの収入で専門誌のバックナンバーとゲームを買い漁った。それでも売り場の面積は日々縮小してゆき、買い逃しも少なくなかった。その度に、もっと早く辿り着きたかったという無念の思いが込み上げた。

大学は、京都の立命館大学を目指すことにした。理由のひとつは、末期の「シミュレイター」で立命シミュ研の会員による記事が多かったからだった。一浪を経て1994年に文学部の東洋史学専攻に入学したが、ここでまたもや挫折を味わうことになった。既にこの時点で立命シミュ研はウォーゲーマーではない理系の会員が大多数を占めていて、しかも理工学部がこの年、滋賀に新設されたびわこ・くさつキャンパスに移転していたので、京都の衣笠キャンパスは閑古鳥が鳴いていた。

何とか京都でも文系の新規会員を獲得しようとしたが、失敗した。定例会が土曜開催だったのをそのまま踏襲したのだが、これもまた1994年から土曜日が原則休講になっていて、しかもバブルが崩壊したことで土曜日をバイトに割り当てている学生が少なくなかった。毎週土曜、学生会館の一室を借りて、朝から夕方までひとり無為に過すことが、丸4年続いた。先輩からアドバイスを受けるような機会が全く無く、平日に説明会を開くという発想が根本的に抜け落ちていた。

結局、何の成果も上げられず、敗北感と無力感を抱きながら、1998年に卒業した。買い漁ってきたものを家の近所の河川敷で全部燃やしたい気分だった。

それから3年が経った2001年、旭屋書店の梅田本店で偶然、洋泉社の「イカす!雑誌天国」というムックを立ち読みしていると、「コマンドマガジン」を紹介する記事に遭遇した。忘れ去りたかった、捨て去りたかったものを、いきなり目の前に突き付けられたような気分になった。逃れられない運命のようなものを感じて、同年8月に発売された第40号から購読を始めた。

コマンドマガジン編集部主催のイベントに参加したり、Middle-Earth大阪本部の定例会に参加するようになり、対戦記録をネットに残すようにもなった。2007年に東京へ異動となったことで、関西と関東、両方のキーパーソンとも多く知り合った。しかし、新たな問題に直面した。2011年、病院で発達障害の診断が下り、自閉症スペクトラム障害(ASD)であることが判明した。

それがゲームと何の関係が?と疑問に思う者が少なくないだろうから、具体的な事例を挙げるため、少し時計の針を戻す。中学生から高校生の頃にかけて、家族でしばしば麻雀を打っていたが、やたらと放銃が多い乱射魔だった。その原因が、実はASDだった。視覚優位のASDは見える物が全てで見えない物に対する想像が働きにくい。それゆえ目に見える牌、つまり自分の手牌や他家の分も含めた捨て牌や鳴き、そしてドラを元に見えない牌、つまり他家の配牌や待ちを推測することができていなかった。というより、そういう推測をすることが麻雀の基本であること自体、わかっていなかった。

見えない物に対する想像力の欠如は、対人ゲームをプレイする上で、致命傷に近い。そもそも見えない物の筆頭である他人の考えや思惑を察しにくいから、ゲーム以前のコミュニケーション能力が著しく劣る。しかもASDはマルチタスクも苦手なので、自分の手番に複数の駒を動かせることの多いウォーゲームは、尚更向いていない。実際、自軍ユニットを一通り動かし終えたら戦線に大穴が開いていたことは二度や三度ではなかった。

30年近くに渡って、時に愛し、時に憎んだ卓上ウォーゲームは、実は、そもそも向いていなかったのだ。

四十路間近にもなって実は自分が片輪者であるという事実を今更のように突き付けられたことと併せて、ドン底に叩き落とされた。以来、他人との対戦は諦めて、翻訳と資料作りに専念することにした。

なぜ往年の専門誌の総目録を作ってウィキで公開したのかと言えば、様々な不運が重なったことで、ほとんどリアルタイムで読めず、ブームの只中に身を置くことができなかったという無念と、どうせ片輪風情にはこんなことしかできないという諦念と、ブームの只中に身を置き、リアルタイムで読んでおきながら、こういう基礎的な資料を作らずに後生への失伝をかましやがった年上の連中に対する反感が根底にある。ロスジェネの卓上ウォーゲーマーは高校・大学という最も時間と気力・体力が有り余っていた時期が1990年代のいわゆる業界冬の時代と重なってしまい、この分野でもバブル組の割を食っている。

今これを読んでいる奴もそういうバブル組が大半だろうから警告しておく。俺は基本的に年上に対して敬意なんか持たない。持つ必要も無い。隙あらば幾らでも噛みついてやる。覚悟しておけ。

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