前回の内容は漢民族の天下観と満独・越独だったが、今回の内容はその続き。
天下が複数の国々に分裂していて、それぞれの国の王が同時代に複数並び立っていても、唯一にして正統なる統治者である皇帝の「天下全体を統治する者の徳」を継承しているのは、その内のたったひとりであって、残りは全てニセモノ、と、支那人は考える……と、以前に三国時代と絡めて述べたが、満洲国もまた、結局は天下全体を支配することなく消滅してしまったので、支那人にとっては辛亥革命以降の天下が複数の国々に分裂した時代におけるニセモノのひとつだったとみなされている。だから、支那では基本的に、満洲国は「偽満洲国」と呼ばれる。
では、清朝で宣統帝が有していた「天下全体を統治する唯一にして正統なる者の徳」を継承したのは、果して蔣介石か?毛沢東か?というと、この問題は最近まで事実上、保留の状態が続いていた。
前回、天下全体の唯一にして正統なる統治者である皇帝のみが実施できる行為として、祭天をちょっと紹介したが、祭天と同様に、「正史の編纂」もまた、皇帝のみが実施できる行為として挙げられる。支那では唐朝以降、ひとつ前以前の時代の正史が皇帝の主導によって編纂されてきた。
そして辛亥革命後も、中華民国の初代大総統となった袁世凱の下、「清史」の編纂が始った。しかし、未定稿である「清史稿」の出版後、政治的混乱が続き、中華民国にしろ中華人民共和国にしろ、決定版的な「清史」の刊行には至っていなかった。つまり、清朝の天下を継ぐ唯一にして正統な政権は中華民国なのか中華人民共和国なのかは、決着が付いていなかった。
ところが、21世紀に入ってから支那共産党が「清史」の編纂に着手した。今年2020年には正式に出版されると考えられる。つまり、政府肝煎りのプロジェクトとしてひとつ前の時代の正史を刊行することによって、支那共産党が天下全体の唯一にして正統なる統治者であることを誇示しようとする姿勢が伺える。21世紀に入ってもなお、「正統なものはいつもひとつ」というのが支那人の基本的な考えなのだ。
21世紀に入っても支那人の伝統的な天下観が存続していることが垣間見える事例を、もうひとつ挙げてみる。九段線だ。
南支那海の島嶼に関する支那・ベトナム・マレーシア・フィリピン・ブルネイなどによる領有権問題と絡めて、支那が主張する九段線は日本でもしばしば紹介されているが、大半の日本人は「大陸国家のくせに領海と主張する範囲が不自然なまでに沖合に延びている」としか思っていないだろう。だが、これは極めて表層的な見方だ。
ベトナム北部が北属期の約千年、「天下」に含まれていたことも以前に述べたが、つまり、支那人にとって、ベトナム北部は「越独」が起きてしまったが、本来は天下に含まれているべきであって、ゆえに南支那海も半ば支那の内海という認識なのだ。唯一にして正統なる統治者によって一度でも統治されれば、以後、そこは天下に含まれる……という支那人の天下観は、今も存続している。