前回の最後、支那人にとっての支那のイメージは、依然として「全ての国々がひとつに統合された「天下」」というイメージがベースになっている、と締めくくったが、具体的な事例を挙げてみる。
支那の歴史で、日本人が最もよく知っている時代と言えば、三国時代が挙げられるだろう。小説・マンガ・ゲームなどなど、日本人が日本人向けに作った「三国志もの」のコンテンツは枚挙に暇が無く、ディープな三国志ファンは少なくない。ところが、実は支那人の間では、支那の歴史の中で三国時代は不人気なのだ。
代表的な例を挙げると、支那のQ&Aサイト「知乎」に、「你最喜欢中国历史上的哪个朝代?为什么?(あなたが最も好きな支那の歴史はどの時代?それはなぜ?)」というスレッドが立っていて150件以上の回答が付いているのだが、三国時代を挙げている者は10人未満で、漢や唐や宋や明を挙げている者の方が圧倒的に多い。逆に、日本人の間で支那の歴史といえば三国志だけが突出して人気なのが支那人の間で不思議がられていたりするのだが、本稿を最初からちゃんと読んでいれば、理由は自ずと明らかだろう。
つまり、支那人にとって(厳密に言えば、支那の民族構成で圧倒的多数派に属する漢民族にとって)、始皇帝以降、天下はひとつに統合されているのが理想的な状態であって、春秋戦国時代の再来のごとく、天下が複数の国々に分裂している状態というのは、天下のあるべき状態ではなく、だからこそ、漢や唐や宋や明といった、漢民族によって天下がひとつに統合されていた時代と比べて、三国時代は不人気なのだ。
そしてもうひとつ、支那人が三国時代について語る際に、日本人とは決定的に異なる特徴が存在する。それは、魏・蜀・呉いずれが「正統」だったかが議題になるということだ。
え?魏にしろ蜀にしろ呉にしろ、結局は天下を統一できなかったんだから、どれが正統もへったくれも無いでしょ?というのは、「信長の野望」をわざとマイナーな弱小大名でプレイして日本を統一したりするのを楽しむような日本人の考えであって、支那人はそう考えない。天下が複数の国々に分裂していて、それぞれの国の王が同時代に複数並び立っていても、唯一にして正統なる統治者である皇帝の「天下全体を統治する者の徳」を継承しているのは、その内のたったひとりであって、残りは全てニセモノ、と、支那人は考えるのだ。
代表的な例を挙げると、日本ではもっぱら「正史三国志」と呼ばれる、陳寿「三国志」では、「魏書」にのみ本紀が設けられているので、著者の陳寿は魏が正統だったとみなしていたと考えられる。一方、朱子学や「三国志演義」では、蜀が正統だったとみなしている。つまり、「真実はいつもひとつ」ならぬ「正統なものはいつもひとつ」というのが支那人の基本的な考えなのだ。