さて、年明けから3ヶ月に渡って、「天下」をキーワードに支那の見方を勝手気儘に綴ってきた本稿も今回で一応、おしまい。というわけで、最後の内容は、未来の話。
前々回と前回、支那を「砂袋社会」と形容したが、支那を砂袋社会たらしめている二大要素である中央集権体制と宗族エゴイズムは、どちらも21世紀に入ってから変容しつつある。その原因は……IT革命だ。
支那ではIT革命によって、従来の中央集権体制では不可能だった「広大な土地と膨大な人口を隅々まで細かく管理すること」が、今まさに現在進行形で可能になりつつある。それゆえ、支那共産党も今まさに現在進行形で小さな政府から大きな政府に変容しつつある。その一方、これまたIT革命によって誕生した信用スコアが、「信用ならざる他者を値踏みするための可視化された指標」として広く受け入れられ、これによって、信用に基づいた結び付き、いわば親族ならぬ信族が勃興しつつあり、従来の「有事におけるセーフティーネットは宗族くらいしかない」という状況も変容しつつある。
中央集権体制にしろ宗族エゴイズムにしろ、その根底にあるものは、不信だ。上は下を信用しないし、下も上を信用しない。そして異なる宗族同士も、お互いに相手を信用しない。20世紀まで、支那は、ずっとそうだった。しかしIT革命による「信用の可視化」が、そうした支那という砂袋社会におけるバラバラな個人同士の相互不信を今まさに現在進行形で変えつつある。
どちらもITを用いながらも、従来通り、不信に基づいて管理の強化を進める支那共産党と、信用に基づいて宗族以外の他者との関係を構築しつつある支那人は、果してどんな地平に着地するのか?
それはまだ、わからない。ただ、これだけは言える。支那人の過半数が支那共産党を「乗り物」として役に立つとみなしている限り、支那共産党による中央集権体制は続く。そして、支那人の宗族エゴイズムが解消されないまま支那共産党による中央集権体制だけが瓦解した場合、世界中が大混乱に陥る。
清朝までは、支那で中央集権体制が(一時的に)崩壊しても、混乱はほぼ支那の内部だけに限定されていた。しかし、現在では支那の外側でも広く支那人が定住するようになっている。ソ連崩壊時、ソ連軍が保有していた通常兵器の相当数がアフリカの紛争地帯に流出してしまったが、支那人の宗族エゴイズムが解消されないまま支那共産党による中央集権体制だけが瓦解した場合、最悪、核兵器の流出だってありえる。支那人の宗族エゴイズムについて何ら考慮せずに支那共産党による中央集権体制の瓦解を望むというのは、世界を大混乱に追い込みかねない、極めて無責任な態度だ。
宗族エゴイズムも、中央集権体制も、「今の所は」まだ存続している。だが一方で、IT革命によって全てが可視化されつつもある。支那共産党が不信から信用へ大きく舵を切るか、それとも不信を貫くか、それによって支那の、そして世界の未来も大きく変るだろう。