支那の見方・その10

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年明けからズルズル続いてきた本稿も今月がラストスパート。前回までは支那人の天下観を話の中心軸としていたが、今回からは天下観をベースとした支那人の社会観・人間観にまで話を拡げる。

清朝末期まで、支那人は「我々は全ての国々がひとつに統合された「天下」に生きている」という自意識(あるいは建前)を持っていた。そして、そうした自意識を持っていても不思議ではないくらい、支那の土地は篦棒に広い。加えて、温暖な気候の下、大河の周辺には肥沃な大平原が広がり、それゆえ、人口も篦棒に多い。

産業革命以前の、通信手段も移動手段も未発達だった時代、そうした広大な土地と膨大な人口を隅々まで細かく管理するのは、そもそも物理的に困難だった。加えて、平時は実り豊かな大地も、ひとたび水害や旱魃や蝗害が起きれば、地平線の彼方まで災厄が大地を覆い尽す。

始皇帝以降、支那が中央集権体制になったのは、通信手段も移動手段も未発達だった時代において、広大な土地と膨大な人口を管理して「天下」をひとつのままに維持するためには、そういう体制を選択せざるを得なかったからだった。そして、ガチガチの中央集権体制を採用しても、そもそも管理する対象が物理的にデカすぎて多すぎるがゆえ、小さな政府にならざるを得なかった。支那の中央集権体制というと大きな政府による管理社会を想像する日本人が少なくないだろうが、「上有政策下有対策(上に政策あれば下に対策あり)」という言葉もあるように、その実態は、平時においても極めて限定的な管理にならざるを得なかった。ましてや有事においてはほぼ無力だった。

そして、有事において政府がほぼ無力だったがゆえに、支那人がサバイバル術として確立したのが、「宗族エゴイズム」だった。

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