落し穴の街

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1998年に大学を卒業してから丸十年、業務用ソフトウェアのプログラマーとして大阪や東京で働いていたが、ずっとデスクワークだったわけではない。2000年代前半まではまだまだブロードバンドを導入していない業者も多く、完成したソフトをMOディスクZIPディスクCD-Rに入れて、ひとりで現地へインストールしに行くことが多かった。加えて、パソコンや周辺機器を納品しに行くことも多かった。

2002年の春、他のプログラマーが担当していた、大阪市西区のネジ屋で稼働中だった販売管理システムのアップデート版を代理でインストールしに行くことになった。最寄駅は市営地下鉄中央線の九条駅で、つい先日、シネ・ヌーヴォで「鬼が来た!」を見に行った時に乗り降りしていたから、九条駅までの移動はスムーズに済んだ。

まだスマホが登場する前(ジョブズがiPhoneを発表したのは5年後)だったので、紙の地図を片手に九条駅からしばらく歩くと、いかにも文化住宅といった感じの二階建てで同じ見た目の建物が左右にズラリと並んだ通りの途中に、ネジ屋の建物と看板が見えた。どんよりとした曇り空の下、真っ昼間なのに道行く人は他に誰もいない。

ネジ屋の前に着いて中に入ろうとすると、隣接する二階建ての方から「ちょっと兄ちゃん、こっちこっち」という呼び声が聞こえた。

中小企業の場合、パソコンは必ずしも仕事場に設置されているとは限らない。特に青果や鮮魚の卸売業者の場合、市場は手狭だったり電源が確保しにくかったりするので、パソコンは自宅に設置されていることが多かった。加えて、事務所と自宅が兼用になっている場合も、仕事場ではなくリビングにパソコンが(家族共用の状態で)設置されていることが少なくなかった。

呼び声がした方を見てみると、引き違い戸が開いていて、中年のおばちゃんが玄関で正座して手招きしている。どうやらこっちにパソコンが設置されているらしい。

「あ、どーも」と言って中に入ろうとしたが、何か微妙な違和感を覚えたので引き違い戸のギリギリ手前で足を止め、上半身だけをぐぐっと前に突き出して中を凝視した。

おばちゃんの隣で、若い女が俯き加減に座っている。

え!?と思って上半身を引っ込め、一歩、二歩、後ずさりすると、引き違い戸のそばに「十八才未満立入禁止」と書かれたプレートが貼られているのに気付いた。

え!?これ住宅じゃないの!?と困惑しながら慌てて踵を返し、ネジ屋に飛び込んだ。

販売管理システムのデータのバックアップとアップデート版のインストールを済ませ、あれは一体何だったんだ……と困惑を抱えたままネジ屋を出ると、再びさっきのおばちゃんが「ちょっと兄ちゃん、こっちこっち」と手招きしてきた。

ガン無視して九条駅の方へ歩き始めたが、依然として道行く人は他に誰もいない。歩きながら通りの両側にずらりと並んだ同じ外観の建物を改めてよーく見てみると、全て上の方に小さな看板が付いている。そして、閉ざされた扉のそばには「十八才未満立入禁止」と書かれたプレート。

住宅街じゃ……ない!?

ただ単に文化住宅が幾つも並んで建っているだけだと思っていたのに、いつの間にか気付かぬ内に落し穴に落ちてしまったような不気味さを覚え、自然と小走りになった。そうして九条駅の方へ駆けて行く途中、「松島料理組合」と書かれた看板が一瞬、視界に入った。

飛田新地の他に松島新地というのもあるらしいけど……ここがそうだったの!?

落し穴の街を駆け足で抜け出して九条駅に着いたものの、しばらく動悸が収まらなかった。明らかに、動悸の原因は駆け足だけではなかった。

その日の帰宅後、自室のiBookで関西の新地についてググってみた。ひととおり調べ終えた頃、時計は午前2時を過ぎていた。が、ネジ屋のシステム更新の代行を頼まれたのは後にも先にもこの1回こっきりで、それから20年以上、松島新地を再訪することは無かった。

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