ソリューションとクソリューション

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先週の続き。なにがしかの問題を解決する策をソリューションと言うが、日本ではソリューションとは名ばかりの、「頑張りましょう」「気を付けましょう」と言うだけのクソリューションが横行している。これもまた、日本人の貧乏臭さが関係している。

なにがしかの問題を解決しようとすれば、従来とは異なるハードやソフトを導入せざるを得ない。ここで言うソフトとは単純にコンピューターのソフトウェアのみを指すのではなく、人間の側の作業手順の類も含む。しかし、そうしたハードやソフトを導入するということは、今まで使っていなかった用途にリソースを使うということを意味する。

バブル崩壊後、そのような問題解決のために新たなリソースを投入することは、基本的に避けられるようになってしまった。それどころか、リソースの投入そのものがどんどんケチられるようになってしまっている。2010年代は様々な職場を転々としてきたが、どの職場でも、備品や作業用具の類を買い替える場合、従来のものよりも安いけれど使い勝手や性能が落ちるものに買い替えられるのが常だった。そして、使い勝手や性能が落ちた分は人間の側が頑張ったり気を付けたりすることでカバーするのが常だった。

しかし、人間は四六時中、集中力を維持できるものではない。ソリューションというのは畢竟、頑張らなくても気を付けなくても重大な問題が起きないような仕組みを作ることに他ならない。しかし、そうした仕組みを作るためにリソースをブン回すことを、日本人の貧乏臭さが阻んでしまっている。

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