史実と勝利条件

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前回、ユーロゲーマーはウォーゲームというともっぱら戦略級・戦術級ゲームを連想するのに対し、ウォーゲーマーは作戦級ゲームをプレイすることが多いと述べたが、卓上ウォーゲーマーが作戦級ゲームを好む理由として、同じテーマでもゲームによって特徴が大きく異なるから、ということが挙げられる。

BoardGameGeekにはバルジの戦いの作戦級ゲームが数十件登録されている(BGGは戦略級・戦術級・作戦級といった「縮尺」による分類機能は無いので、リスト自体には戦術級ゲームも含まれてしまっているけれど)。

なぜ、同じ作戦をテーマとしたゲームが何十回も作られるかというと、デザイナー毎に強調したいこと(戦車の機動力、砲兵による火力支援、工兵による橋梁破壊、特殊部隊による攪乱工作、天候の影響、最前線と司令部の間での意思の疎通、などなど)が異なっていたり、作戦に参加した各部隊に対する評価・レーティングが異なっていたりしている他に、作戦の目的に関する解釈が異なっていて、それが「勝利条件」、更にはゲームバランスの設定にも影響したりするからだ。

ヒストリカルウォーゲームの勝利条件というものは、ウォーゲーマーの間ですら意味がよくわかっていない者が少なくないので、ここできっちり論じておく。最初に結論を言ってしまうと、ヒストリカルウォーゲームにおける勝利条件というものは、プレイヤーが役割を演じることになる指揮官が、史実において何を目指していて、実際の所どれだけの事が達成可能だったのか?をデザイナーが解釈した結果が反映される。そして、そのようなデザイナーの解釈はデザイナーが依拠する戦史研究に大きく影響される。

以下、実例を片っ端から挙げてゆく。

バルジの戦いで、ドイツ軍は(西ヨーロッパ最大の港でアメリカから船で運ばれる連合軍の補給物資が陸続と荷揚げされていた)アントワープを占領して連合軍の補給に打撃を与えることを目指していた。そのことを反映して、1965年に出版された世界最初のバルジ戦ゲーム「The Battle of the Bulge」では、ドイツ軍の部隊が幾つ、マップ北西端からアントワープ方面へ突破できるかが勝利条件として設定されていて、ドイツ軍が史実よりも大幅に北西部へ攻め込むことが可能なゲームバランスになっていた。

しかし、その後の戦史研究によって、当時のドイツ軍の(ズタボロな)実態が明らかになるにつれ、当時のドイツ軍にアントワープへの突破なんて無理!という見方が強まった。そのため、現在出版されているバルジ戦の作戦級ゲームの多くは、史実でのドイツ軍の最大進出線がゲーム上の引き分けラインに設定されていて、プレイヤー同士の技量が拮抗していれば大体史実と同等の結果になるようにバランス調整されている。

ノルマンディー上陸作戦をテーマとした国産ゲーム「史上最大の作戦」は、連合軍が最終ターン終了時までにマップの南半分の東端・南端・西端から一定数の部隊を突破させれば勝利と判定されるのだが、南西から突破する場合、南西部の交通の要衝、アヴランシュに史実より10日以上も早く到達しなければならない。これはつまり、デザイナーの鈴木銀一郎が「連合軍はもっと早くアヴランシュを突破できた筈だった」と解釈しているからで(実際、ルールブックのデザイナーズ・ノートにもそう書いている)、このゲームでの連合軍プレイヤーは史実と同じペースで進撃すると、チンタラしすぎ!と、ゲーム上では負けと判定されてしまう。

同じく鈴木銀一郎がデザインした「朝鮮戦争」は、北朝鮮軍がこれを越えればサドンデス勝利、という最終防衛ライン(下図の赤色の破線)が、史実での北朝鮮軍の最大進出線(下図の緑色の実線)よりもかなり釜山寄りに設定されている。
EPSS_KoreanWar_PusanPerimeter.jpg

これもつまり、デザイナーが「北朝鮮軍はもっと攻め込めた筈だった」と解釈しているからで、このゲームでの北朝鮮軍プレイヤーは史実と同じペースで進撃した場合、ゲーム上の勝利条件は達成し難い(ターン記録表には北朝鮮軍が史実でいつ、どこを占領したのかが書かれているのだが、これは一種の罠)。

つまり、デザイナーが史実の結果を妥当な結果だと解釈した場合、史実の結果がゲーム上の引き分けラインに設定され、史実よりも戦果が大きかったり損害が少なかったりするとゲーム上の勝利と判定されるように勝利条件が設定され、プレイヤー同士の技量が拮抗していれば史実と同様の結果になるようにゲームバランスが調整される。が、デザイナーが史実の結果を妥当な結果だと解釈していない場合、ゲーム上の引き分けラインとバランス調整は史実の結果とは別のものに設定されるのだ。

特に、史実において大きな判断ミスが生じていた場合、そのような史実の結果とは異なる引き分けラインの設定とバランス調整が実施されることが多くなる。ヒストリカルウォーゲームに限らず、歴史を題材としたゲームではプレイヤーは岡目八目にならざるを得ず、基本的に、史実と同様の失敗は避けようとするからだ(史実で生じた大きな判断ミスをルールで強制的に再現させるようなゲームもあるが、そうしたルールは「陰謀ルール」と呼ばれ、おおむね嫌われる)。

したがって、ヒストリカルウォーゲームでは勝利条件をしっかり読み込んで、そこから逆算することによって、するべきこと・するべきでないことを決めるのが重要になる。必ずしもデザイナーが史実の結果を妥当な結果だと解釈しているとは限らないのだから、史実に則った行動がそのままゲーム上のベストな行動になるとは限らないのだ。

しかし、日本ではウォーゲーマーですら、こうしたデザイナーの解釈に基づくゲーム上の勝利条件の設定とバランス調整というものが認識できていない者がいたりする。これは、「略史」の方でも少し触れた、1970〜80年代の日本において卓上ウォーゲームが一種の中二病アイテム的な受容のされ方をしていた側面があったことと関係している。

当時の日本人ウォーゲーマーの中には、「自分達がプレイしているのは、「単なるゲーム」ではない、一段レベルの高いゲームなのだ」と、過剰な自意識を持つ者が少なからずいた。その結果、史実を大幅に逸脱したプレイを「史実に無知な、頭の悪いプレイ」とみなし、あまつさえ、最初から最後まで史実に沿ったプレイこそが至高のプレイだとみなす者までいた。

しかし、ゲームというものは本来、プレイヤーに複数の異なる選択肢が与えられ、選択の良し悪しによって勝ち・負け・引き分けといった複数の異なる結果がもたらされるものであって、最初から選択肢や結果が1つしかないのであれば、それはゲームとは呼び難いし、そもそもデザイナーはそんなプレイを強要してはいない。

更に言ってしまえば、当時からアメリカ製のヒストリカルウォーゲームには、史実と異なる初期条件が設定された仮想シナリオ(「What If」シナリオと呼ばれる)が用意されているゲームも結構あって、作り手自身が史実と異なる展開の可能性を積極的に追求していた。

しかし、当時の日本では「史実の再現」に重きが置かれ、こうした「史実と異なる展開の可能性」はあまり積極的に追求されてはいなかった。そして現在に至るまで、史実準拠のシナリオと仮想シナリオが両方とも用意されている国産ゲームは、決して多くはない。

ただし、「最初から最後まで史実に沿ったプレイ」が全く無意味無価値かというと、そうでもない。

歴史上の出来事を再現するイベントを「リエナクト」と言い、欧米を中心に日本でも開催されている。卓上ウォーゲームの「最初から最後まで史実に沿ったプレイ」は、いわば卓上リエナクト、と言えるだろう。参加するプレイヤー全員がそうした(史実における失敗も含めた)歴史上の出来事の再現・追体験を求めているのであれば、そのようなプレイも無意味無価値ではない。

逆に、参加するプレイヤー全員が史実と異なる展開の可能性を積極的に追求したがっているのであれば、史実を大幅に逸脱したプレイも成立する。つまり、ヒストリカルウォーゲームを複数人でプレイする場合、「史実と異なる展開をどこまで許容するのか」という閾値に基づいたマッチングが重要になってくる。

そして、ソロプレイであれば、そうしたマッチングを全く気にする必要が無く、更に言えばゲーム上の勝利条件もガン無視できるので、卓上リエナクト的なプレイも、歴史改変的なプレイも、十分に堪能できる。ボードウォーゲームの多くは「戦史雑誌の付録」という形態で出版されている、と最初の方で述べたが、ヒストリカルウォーゲームはまさに、ひとりでも十分に楽しめる「遊べる戦史書」「動かせる戦況図」なのだ(あ、上手いこと最初と最後が繋がった)。

「卓上ウォーゲームの基礎知識」的なもの(とりわけ、ユーロゲームと比較した場合の著しい相違点)に関して、5回に分けて書き散らした草稿的なものは、これにて、おしまい。年末年始の暇潰しの読み物くらいにはなったかなぁ。

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