1990年代後半から2000年代前半にかけて、個人向けの様々なホームページ運営サービス華やかなりし頃、少なからぬ日本人ウォーゲーマーもまた、HTML直打ちでウォーゲームに特化した内容の個人ホームページを開設・運営していた。しかし、2000年代後半からブログやウィキといったCMS、そしてFacebookやTwitterといったSNSが擡頭してくると、個人向けのホームページ運営サービスは次々と終了してしまい、日本人ウォーゲーマーの個人ホームページも相当数がブログやウィキに移行することなく、消滅してしまった。
特に著名な事例を、3つ挙げる。福田氏はかつて「歴史をソウゾウしよう」という個人HPを運営していて自作PnPウォーゲームを複数公開していたのだが、消滅してしまった。堀場氏もまた「ゲーム道場」という個人HPを運営していてウォーゲーム用語集などを公開していたのだが、これも消滅してしまった。そして越田氏も「KOSのウォーゲームページ」という個人HPを運営していて質も量も豊富なコンテンツを提供していたのだが、本人の急逝後、やはり消滅してしまった(1970年代創設で越田氏が会長を務めていた老舗サークル「カデークラブ」の公式HPも消滅してしまった)。
こうした個人HPの大量絶滅から10年程経ったが、ネット上で個人が情報発信するためのサービスの運営終了と、それによる大規模なアーカイブの消滅は、今でも時々起きてしまっている(ヤフーブログとか)。そして先日、1997年から四半世紀続いていた電子掲示板・ブログサービスの「teacup.」がサービス終了してしまったことにより、それが起きてしまった。
消滅したのは、ブログ「積み木の老親衛隊」、運営者は水池真彦こと伊東寛。古参ウォーゲーマーなら名前でピンと来たかもしれないが、元陸自で北部方面隊在籍時には度々「シミュレイター」の読者投稿欄に投稿している。
「積み木の老親衛隊」は2006年開設で、いわゆる積木ウォーゲーム(駒が厚紙やミニチュアではなく木製のブロックを使っていて、対面の相手プレイヤーからはユニットのパラメーターが見えず、いわゆる戦場の霧をある程度再現している)に関する情報発信を主軸としていて、15年以上に渡って700件以上の記事が投稿されていた。積木ウォーゲームに関する日本語サイトとしては国内随一の存在だった。
その貴重なアーカイブが、すべて、一切合切、ひとつ残らず、消滅してしまった。
個人HPと比べて、ブログは大抵の場合、書き出し・読み込みツールが用意されていて他のブログへの移行が比較的やりやすい。teacup.もサービス提供元のGMOメディアが移行ツールを用意していて、同じくteacup.上のウォーゲーム系サイトだったTachibana Designers Factoryも茨城歴史ゲームの会も、そうしたツールを用いてgooブログへの移行を済ませていた。
「積み木の老親衛隊」の最後の更新は(積木ウォーゲームではないが)「逆統戦」のリプレイ記事を投稿した今年5月だったから、長年未更新でほったらかしにしていたわけではない。GMOによるサービス終了の告知はそれより前の3月で、各種IT系ニュースサイトでも報道されていた。加えて、サービス終了の約1ヶ月前に茨城会が移行を済ませた直後、俺はTwitterで伊東に直接警告も発していた。にも関わらず、伊東は何の手も打たなかった。
何より頭に来るのは、伊東が自衛隊のサイバー防護隊の前身であるシステム防護隊の初代隊長を務めていて、除隊後もサイバーセキュリティー関連の会社や団体を幾つも渡り歩いていて、著書も複数上梓していて、ITスキルは決して低くはない(むしろ高い)筈であるのにも関わらず、こうした大規模なアーカイブの消滅をやらかしたということだ。
公務員による公文書の破棄が度々問題になっているが、その原因の一端を垣間見た気がする。ネット上に公開されたアーカイブは、半ば公共財だ。テメエで15年以上に渡って積み上げてきたアーカイブをなるべく存続させようともせず消えるがまま、雑に扱うようなメンタリティーの持ち主が元公務員だというのだから、公文書の扱いなんて推して知るべしだ。
日本のサイバーセキュリティー絡みの事件と言えば、外部からの攻撃云々以前の、内部統制のガバガバさに起因するものの方が目立つ。ベネッセ、然り。神奈川県、然り。尼崎市、然り。
防衛とは、守るべきものあってこその防衛だ。テメエで積み上げてきた貴重なアーカイブを雑に扱って消滅させるような奴にサイバー防衛を云々する資格なんか無え。