カテゴリー: 言いたい放題
支那の見方・その9
前回の内容は漢民族の天下観と満独・越独だったが、今回の内容はその続き。 天下が複数の国々に分裂していて、それぞれの国の王が同時代に複数並び立っていても、唯一にして正統なる統治者である皇帝の「天下全体を統治する者の徳」を継 […]
支那の見方・その8
前回の最後、漢民族の天下観をろくすっぽ知らなかったがゆえに、20世紀の前半に大失敗をやらかしたのが日本、と締めくくったが、今回の内容はその大失敗の詳細な解説。 清朝末期までの支那人にとって、支那とは「全ての国々がひとつに […]
支那の見方・その7
前回は、支那人にとっての「天下」という話から若干寄り道して、支那人にとっての「王」と「皇」を俎上に載せたが、今回からは再び支那人にとっての「天下」について掘り下げる。 始皇帝以降、清朝末期に至るまで、支那人にとっての「天 […]
支那の見方・その6
前回の内容は、日本人と支那人での三国時代の受け取り方の違いだったが、今回の内容はその続き。まずはちょっと質問をひとつ。「王」と「皇」は、どう違う? 日本ではカトリックの「Pope」を「法王」と訳したり「教皇」と訳したりす […]
支那の見方・その5
前回の最後、支那人にとっての支那のイメージは、依然として「全ての国々がひとつに統合された「天下」」というイメージがベースになっている、と締めくくったが、具体的な事例を挙げてみる。 支那の歴史で、日本人が最もよく知っている […]
支那の見方・その4
前回までは「支那は、国ではなく、それ自体がひとつの世界である」という本稿のメインテーマの説明に充てていたが、今回からは、そのメインテーマからどんどん話を発展させる。 20世紀に入るまで、支那人の大部分にとっては、支那が「 […]
支那の見方・その3
前回の最後、「支那は、国ではなく、それ自体がひとつの世界である、と見るべきなのだ」と締めくくったが、まだ納得できていない者もいるだろう。というわけで今回は、なぜ、支那はそれ自体でひとつの世界であると見るべきなのか、という […]
支那の見方・その2
前回の最後、「支那は、国ではない」の一言で終ったので、えええええ〜っ!?と思った者もいるだろう。国じゃないんだったら一体なんなんだよ!?と、疑問符が飛び回っていてもおかしくはないが、今回はその疑問に答えるため、まず、支那 […]
支那の見方・その1
さて、先日予告した通り、年明けからちょっと長めの話を、何回かに分けて連続して投稿する。テーマはズバリ、支那。 21世紀に入ってから、支那の擡頭が著しい。ゆえに、支那とは地理的に近い日本で生れ育ってきた日本人は、好むと好ま […]
日本は東アジア……か?
日本列島は、地理的には東アジアに属する。が、だからといって、日本が文化的にも東アジアの文化圏に属するとは、必ずしも言い切れない。というのも、日本を代表する文物とされているものの中に、実は東南アジアに淵源していたり類似のも […]
日本語と朝鮮戦争
朝鮮戦争では韓国を支援するため、まず近場の日本に駐留していた米軍部隊が投入され、その中には黒人兵も多く含まれていた、ということを先月ちょっと触れたが、こうした日本駐留の米軍部隊には、日本人相手の通訳も兼ねた日系米兵も多く […]
ウェブの断絶
「War-Gamers Advent Calendar 2019」に今年は参戦、というより乱入。お祝いムードとかガン無視して辛辣に行く。 日本の卓上ウォーゲーム界では世代の断絶が生じてしまっている——と、先月みっちりと論 […]
読み書き指向言語としての日本語
日本の外国語教育は読み書き偏重で実践的ではなく、もっと会話教育を重視すべき、という物言いは腐る程溢れているが、日常的に日本語以外の言語を読み書きしている立場からすると、この手の物言いには全く首肯できない。読み書きは(チャ […]
親子の添い寝は近親相姦……か?
文化の差異は、時としてとんでもない誤解をもたらす。「めぞん一刻」のアニメ版がフランスで初めて放送された時、こたつに入っている一刻館の面々を見たフランス人の視聴者が「全員、足が無い」と勘違いしたという逸話が残っている。この […]
フライドチキンと朝鮮戦争
韓国で失業者の多くがフライドチキン屋を開業するものの、短期間で廃業に追い込まれる者が少なくない——という話題が、近年、日本でも報道されている。だが、そもそも何故フライドチキンなのか、ということは、あまり深く掘り下げられて […]