支那の見方・その7

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前回は、支那人にとっての「天下」という話から若干寄り道して、支那人にとっての「王」と「皇」を俎上に載せたが、今回からは再び支那人にとっての「天下」について掘り下げる。

始皇帝以降、清朝末期に至るまで、支那人にとっての「天下」とは、唯一にして正統なる統治者である皇帝の統治が及ぶ所だった。そして、その範囲は時代によって拡大したり縮小したりした。朝鮮の北部やベトナムの北部、中央アジアの西トルキスタン南部が「天下」に含まれていた時代もあった。加えて、元や清といった、漢民族ではない、万里の長城よりも北側を本拠地としていた異民族の長が漢民族を支配して皇帝を称する時代もあり、そうした時代には万里の長城よりも遥か北側が「天下」に含まれていた。

そして、(繰り返しになるが)支那の民族構成で圧倒的多数派に属する漢民族にとって、天下はひとつに統合されているのが理想的な状態であって、天下を複数の国々に分裂させるというのは、漢民族にとっては今でも最大のタブーなのだ。

大部分の日本人は知らないが、「五独」という言葉が支那ではしばしば使われる。支那共産党が警戒する5つの分離独立運動のことで、具体的には以下の5つを指す。

台独……台湾の独立
蔵独……西蔵(チベット)の独立
疆独……新疆の独立
蒙独……内蒙古の独立
鮮独……延辺(かつての間島)の独立
(近年は香港での反政府運動の高まりに伴って、5番目は鮮独ではなく「港独」になっていることが多い。)

重要なのは、こうした分離独立運動は、単に支那共産党だけが警戒しているのではなく、漢民族の大多数がタブー視しているのだ。

そして、このような漢民族の天下観をろくすっぽ知らなかったがゆえに、20世紀の前半に大失敗をやらかしたのが……他ならぬ日本だった。

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