支那の見方・その3

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前回の最後、「支那は、国ではなく、それ自体がひとつの世界である、と見るべきなのだ」と締めくくったが、まだ納得できていない者もいるだろう。というわけで今回は、なぜ、支那はそれ自体でひとつの世界であると見るべきなのか、ということを掘り下げてみる。

「支那はそれ自体でひとつの世界である」という物言いに対して、「じゃあ、秦とか漢とか隋とか唐とか宋とか元とか明とか清とかは一体なんなんだよ?国名だろ?」と思う者は少なくないだろう。が、これらはあくまでも支那の外側の国々だけに向けた、対外専用の自称であって、支那が複数の国々に分裂してなく、ひとつに統合されていれば、当の支那人自身は「自分たちは全ての国々がひとつに統合された「天下」(=支那人にとっての「世界の全て」)に住んでいる」という自意識で生きていた。国名なんてものは国が複数ある場合にのみ必要なのであって、全ての国々がひとつに統合されていれば、国名なんて必要ない。だから、支那がひとつに統合されていれば、支那が世界の全てであると思っていた支那人自身は「自分は漢国人である」「自分は唐国人である」「自分は明国人である」などとは思っていなかったのだ。

更に言えば、支那人にとって、秦とか漢とか隋とか唐とか宋とか元とか明とか清とかいうのは、国名ではなく「時代の区分」だった。いずれも秦朝・漢朝・隋朝・唐朝・宋朝・元朝・明朝・清朝とも呼ぶことからも、それは明らかだろう。プトレマイオス朝のエジプトの国名が「プトレマイオス」ではなかったように、サーサーン朝のペルシア(イラン)の国名が「サーサーン」ではなかったように、ロマノフ朝のロシアの国名が「ロマノフ」ではなかったように、支那人にとって秦とか漢とか隋とか唐とか宋とか元とか明とか清とかいうのは、あくまでも時代に付けられた名前だったのだ。ついでに言うと、前回ちょっと触れた「殷」も、殷の時代に作られた甲骨文字の文献には「殷」の字は出てきてなく、その次の「周」の時代になってから作られた文献に、ひとつ前の時代の呼び名として「殷」の字が出てくる。

次に、支那の内部の多種多様さについても触れておこう。支那の土地の面積は日本よりも遥かに大きく、少数民族も50を超えるが、具体的な支那の多種多様さに関する知識なんて、日本人の多くは持っていないのだから、具体的な例を幾つか挙げてみる。

まず、言語。一口に支那語といっても、北方で使われる北京語(および、それをベースとした普通話)と、南方で使われる広東語では、発音も使う字も相当異なる。例えば、普通話で「私は北京人です、香港人ではありません」は、以下のようになる。

我是北京人,不是香港人。
(ウォー・シー・ベイジンレン、プー・シー・シャンガンレン。)

これに対し、広東語で「私は香港人です、北京人ではありません」は、以下のようになる。

我係香港人,唔係北京人。
(ンゴ・ハイ・ヒョンゴンヤン、ン・ハイ・バッギンヤン。)

支那語の声調は普通話で4つなのに対し、広東語では9つ(基本的なものだけでも6つ)もあるが、そうした声調の違いを無視しても、発音も使う字も異なるということがわかるだろう。ゆえに、支那のテレビ番組には基本的に字幕が付いている。

言語の次は食文化。日本では東西で食文化がかなり異なるが、支那の場合、南北で気候が大きく異なることが、食文化にも大きな違いをもたらしている。支那の主要な大河は北から順に黒竜江遼河海河黄河淮河長江珠江が挙げられるが、ざっくり分類すると、淮河(と、その西に位置する秦嶺山脈)を境にして、それよりも北では小麦が、それよりも南では米が栽培されている。つまり、秦嶺・淮河線よりも北では小麦が、南では米が、それぞれ主食になっている。

主食の次は飲み物。支那では豆漿、つまり豆乳が朝食の定番となっているが、北方では甘口の「甜豆漿」が好まれ、南方では塩味の「鹹豆漿」が好まれる。簡体字の「甜豆浆 咸豆浆」で検索をかけると、北方の甘口派と南方の塩味派の議論が喧しいし、新浪微博には「#甜咸豆浆之争#」という専用のハッシュタグまで用意されている(新浪微博のハッシュタグは2つのシャープで前後を挟む)。

日本ではスイーツの類とみなされることが多い豆花粽子(ちまき)湯円月餅も、甘口のものの他に肉を入れたりして塩味にするものもあり、北方では塩味の豆花と甘口の粽子・湯円・月餅が好まれ、南方では甘口の豆花と塩味の粽子・湯円・月餅が好まれる。こうした甘口派と塩味派の対立を総称して「甜鹹之争」と言い、やはり簡体字の「甜咸之争」で検索すれば、対立の一端を垣間見ることができる。

言語や食文化以外でも、支那は南北の差異が大きい。「南船北馬」という故事成語は日本でも知られているが、先述の主食の違いを表した「南稲北麦」という言葉もあるし、炊事道具の違いを表した「南釜北鬲」、衣類の違いを表した「南糸北皮」、住居の違いを表した「南巣北穴」、建材の違いを表した「南木北土」、工業の違いを表した「南軽北重」、身長の違いを表した「南矮北高」、体重の違いを表した「南瘦北胖」、思想の違いを表した「南道北儒」という言葉もある。この他にも、ニンニクやネギを刻んで薬味にするか丸かじりするか、食材をバラ売りするか袋詰めで売るか、公共施設のシャワーに仕切りがあるかないか、性格が繊細か豪快か、経済中心か政治中心か、ゴキブリが大きいか小さいか等々、様々な違いが指摘されていて、こうした南北の差異は簡体字の「南北差异」で検索すれば、色々と垣間見ることができる。

南北の差異の話だけでは不十分なので、最後に一発、とっておきのものをぶちかます。2000年代半ばに「バカ日本地図」という企画が話題になり、その後も日本の各地を独断と偏見で紹介・解説する類の地図が現在に至るまで度々SNSに投稿されて話題になったりするが、英語圏でも同様の趣旨で「Judgmental Maps」や「Atlas of Prejudice」といった専門のサイトが存在する。そして、支那でも同様の地図が作られているのだ。おおむね「○○人眼中的中国地图」あるいは「中国偏见地图」という題名が付いていて、検索すればわんさか出てくる現在の支那の行政区分は23省・5自治区・4直轄市・2特別行政区の合計34一級行政区に分類されるが、これらの地図を見れば、たとえ支那語や簡体字の知識が無くても、それぞれの行政区の出身者が自らの出身地と他の地域をどう見ているのか、その多様性を垣間見ることができる。

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