日本人とユダヤ人と日本沈没

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小松左京の長編SF小説「日本沈没」は1973年3月に書き下ろしで出版されると、年末までに上下巻合せて300万部を超えるベストセラーになり、加えて翌年にかけて映画化・テレビドラマ化もされて、それら映像化作品も好評を博し、日本SF史上のエポックメイキング的な作品となった。そして、21世紀に入ってからも小説をベースとして新たに映画やアニメが作られている。が、そちらの評判はあまりよろしくない。

しかし、その原因は元々の小説が刊行された直後から幅広い読者に受け入れられていった、その頃の時代背景が、半世紀の間に忘れ去られてしまっているがゆえと言えるだろう。

1973年当時、高度経済成長は既に終焉を迎え、重化学工業の発展に伴って様々な公害病が全国各地で報告されて社会問題となり、そして、第四次中東戦争によるオイルショックが起きた。戦後の焼け野原から30年足らずで再び世界の先進国入りを果したものの、この繁栄が果して今後もずっと続くのだろうか、という漠然とした不安を抱える人は決して少なくはなかった。「日本沈没」は、そのような漠然とした不安に合致するような内容だったがゆえに、大ヒットした。五島勉の「ノストラダムスの大予言」も、筑摩書房の雑誌「終末から」の創刊号も、やはり1973年に出版されている。

先日、五島勉の訃報に伴って、こうした1970年代の終末論ブームを振り返る記事が散見されたが、「日本沈没」の大ヒットには、終末論ブームに加えて、ある一冊の本が影響を少なからず与えたと考えられる。その本の名は……イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」。

「日本人とユダヤ人」は、自称・神戸生れのユダヤ人が日本人とユダヤ人の違いを説く……という内容の本で、1970年に出版されるとベストセラーになった。が、実際の著者は訳者と称した山本七平だったことが現在では明らかになっている。加えて、ユダヤ人やユダヤ教に関する記述が間違いだらけであることが、宗教学者の浅見定雄による批判書「にせユダヤ人と日本人」で指摘されている。そして、今もなお日本でしばしば出版される俗流比較文化論ものの嚆矢とも言える。

その「日本人とユダヤ人」では、1世紀後半のユダヤ戦争でローマ帝国に敗れてエルサレムから離散した後、長い間世界を流浪することになったユダヤ人と、祖国を追われるという経験が無かった日本人を対比するというのが基本になっている。

そして、小松左京は元々、「日本人がユダヤ人のように祖国を失い、流浪の民になったらどうなるのか?」というテーマで小説を書こうとして、そのための前準備として「日本沈没」を執筆した。つまり、「日本沈没」は、日本人をユダヤ人のような流浪の民にするための手段であって、それ自体が目的ではなかった。だからこそ、「日本沈没」の末尾は「第1部・完」と締めくくられていて、流浪の民になった日本人を描く第2部「日本漂流」の執筆が当初から構想されていた。が、執筆は難航し、33年経った2006年にようやく、谷甲州との共著という形で第2部が出版された。

小松左京が「日本沈没」の執筆を始めたのは1964年からだったので、1970年に出版された「日本人とユダヤ人」が直接的に執筆のきっかけになったわけではない。が、「日本人とユダヤ人」がベストセラーになったことによって、「ユダヤ人=流浪の民」というイメージが1970年代に日本人の間では流布していた。だからこそ、「日本沈没」で描かれた、日本人がユダヤ人のように祖国を失い、流浪の民になるという内容が衆目を集めたと言えるだろう。

だがしかし、代表的な終末の年とされた1999年から既に20年が経ち、終末論は影を潜めてしまい、加えて、1948年にイスラエルが建国されて70年以上が経ち、「ユダヤ人=流浪の民」というイメージも過去のものとなってしまった。もしも、日本列島の沈没を描いたSF小説が1973年ではなく2013年に初めて出版されていれば、ベストセラーにはならなかったかもしれない。

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