帝國陸軍の対ソビエト両面感情

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20世紀に世界で最も大きな影響を与えた思想であるマルクス主義、そして20世紀に世界で最も大きな影響を与えた革命であるロシア十月革命は、もちろん日本にも大きな影響を与えた。その中でも最も大きく影響を受けたのは、1960年代に学生運動に関わった大学生・高校生だった……と思っている人は少なくないだろう。だが、それよりももっと大きく影響を受けた集団がいた。それは、帝國陸軍だった。

軍艦というハイテクの塊を扱うがゆえに少数精鋭の志願兵制を採用する海軍に対して、徴兵によって兵役に就く農村出身の青年が人員の大部分を占める陸軍にとって、資本主義の発展に伴う格差の拡大とりわけ農村の貧困は、軍の士気に関わる問題だった。必然的に、経済問題に関心を寄せざるを得なかった。

加えて、先々月、「終戦の詔勅について」で述べた通り、江戸時代末期以降、日本にとって最大の仮想敵国は、一貫してロシアだった。そして日露戦争とシベリア出兵を経験した帝國陸軍にとって、1920年代のロシア(ソビエト連邦)とは、革命と内戦による混乱を乗り越えた後、社会主義による計画経済に基づいて急速に国力と軍備を増強してい(るように見え)た。

そして、現在では忘れ去られてしまった感があるが、第一次世界大戦中にレーニンは「帝国主義論」を執筆して、資本主義が帝国主義戦争を引き起こすことは必然不可避、と論じた。そしてその後、ロシアは革命が起きて帝政が崩壊し、中央同盟国と講和することによって第一次世界大戦の参戦国から一抜けした。

第一次世界大戦から一抜けした後、計画経済に基づいて世界恐慌の影響も受けずに急速に国力と軍備を増強してい(るように見え)るソ連に対抗するには、日本もまた財閥を打倒して国家体制を改造しなければならない、が、ソ連のやり方をまるまる踏襲しようとすると、それはそれで天皇制が崩壊しかねない……というジレンマを帝國陸軍の軍人は抱えていた。

満州事変も陸軍パンフレットも二・二六事件も、「ソ連に対抗してどこまでソ連のやり方を真似するか」という所から端を発していた。その後の日本に与えた影響は、1960年代の学生運動よりも遥かに大きかった。

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