終戦の詔勅について・その1

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第二次世界大戦で日本は原爆を投下されたことによって無条件降伏の受け入れを決め、それによって本土決戦は避けられ、戦争終結が早まった、という主張が日本以外の外国で出てきて、それに対して日本人が抗議する、という展開がしばしば起きる。

実に、くっっっっっだらない。

何がくだらないって、何故こういうやりとりが起きるのか、全体的な構造をほとんど誰も把握していないからだ。

ほとんどの日本人は知らないが、原爆投下が日本に対する決定打云々という主張は、ものすごく有名な文書を根拠としている。その根拠とは「昭和天皇が玉音放送=終戦の詔勅(正式な名称は「大東亞戰爭終結ノ詔書」)で、そう言ったから」。

えええええっ!?と思った人は少なくないだろう。大抵の日本人は終戦の詔勅というと「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」しか知らないからだ。しかし、終戦の詔勅をちゃんと冒頭から読めば、次の一節に行き着く。

敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尙交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

「新ニ殘虐ナル爆彈」とは明らかに原爆のことだし、このまま交戦を継続すれば民族の滅亡を招くだけでなく人類の文明をも壊すことになり、これが帝国政府に共同宣言(=ポツダム宣言)へ応じさせるに至った理由である、と、述べている。原爆投下が日本に対する決定打云々は、これを根拠にしているのだ。

終戦の詔勅は、ものすごく有名な文書であるのにも関わらず、日本語による原文は難解な文語体なので日本人は読むことを最初から避けてしまい、それゆえ詳しい内容を全く把握していない人が大半なのに対し、翻訳(それも原文より遥かに平易な口語体)で接する外国人の方が却って詳しい内容を把握している人が多い、というねじれ現象が起きてしまっているのだ。それに加えて、原文が難解なので当の日本人は詳しい内容をほとんど知らない、ということが外国では知られていない。このように、終戦の詔勅を取り巻く状況は何重にもねじ曲っているのだ。

だから、日本人は原爆投下が日本に対する決定打云々という外国人の主張が昭和天皇の詔勅を根拠にしていることを知らないし、外国人は昭和天皇の詔勅に基づく主張を日本人が否定する理由がわからないのだ。アンジャッシュのコントかよ。

じゃあ、やっぱり日本は原爆投下で無条件降伏の受け入れを決めたんだ、と思った人、早合点してはいけない。というのも、終戦の詔勅には不自然な箇所が存在していて、それゆえ額面通りには受け取れないのだ。その、不自然な箇所とは…………来週に続く。

追記
原爆投下が日本に対する決定打云々という主張が終戦の詔勅を根拠としていることに気付いたのは、今から丁度10年前の2010年、シンガポールへ行った時のことだった。ブキ・ティマの旧フォード工場記念館に行き、展示室の出口のパネルにキノコ雲が描かれているのを見て、やはり海外では原爆投下が日本に対する決定打という認識なのだな、と思い、その翌々日、セントーサ島のシロソ砦に行き、投降紀念室に終戦の詔勅のレプリカが展示されていたので、そういえばこれ、ちゃんと読んだことがなかったよなぁ、と思って改めて読んでみて、そういうことか、と気付いた次第。

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